<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2025-8-3<br>更新日: 2025-8-5 </span></p> # 『宗教的経験の諸相』のスタディ:第2回 ギフォード講義とジェイムズ 今回から、原著序を読んでゆく。まず、冒頭でジェイムズは重要な情報を提示する。 &#13;&#10; &#13;&#10; >もし私が光栄にもエディンバラ大学における自然宗教に関するギフォード講義の講師に指名されることがなかったら......[^1] &#13;&#10; ギフォード講義([Gifford Lectures](https://giffordlectures.org/))とは年に1回、スコットランドで開かれる自然神学についての講義である。このような説明は『諸相』スタディ本編でも行ってきたが、その意味内容は説明してこなかった。ここで「自然神学」を明らかにしたい。 ### 自然神学 20世紀以降、自然神学(Natural theology)は「啓示に基づいた神学(狭義の神学)」と対立するものとして理解されることも多い。特に新正統主義の代表的神学者カール・バルトにおいて顕著なこの対立を理解するために、オックスフォード大学の神学者アリスター・マクグラスの解説を引こう。 &#13;&#10; &#13;&#10; >自然神学——範囲と限界 > >ここで神が秩序を通してどの程度まで知られるのかという重要な問題を取り上げることにしよう。神学論争におけるこの重要な領域は、伝統的に「自然神学」として知られていて、近年においてはキリスト教神学と自然科学との対話への促進への関心が増してきていることから、いっそう重要になってきている。自然世界の探求は創造者のいっそうの理解を齎すものなのであろうか。 >「天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す」(詩19・1)。このよく知られた箇所はキリスト教の聖書における一般的な主題を表しているものと見られる。つまり、世界を創造した神の知恵の中の何かが、造られた世界を通じて知られるというのである。この主題の探求は神学の最も実り豊かな領域の一つとなることになった。[^2] &#13;&#10; 被造物である自然の中に、創造主である神の知恵が示されており、人はそれを観想や類推(トマス・アクィナス)、神的なものへの衝動(カルヴァン)、理性的思考能力(アウグスティヌス)、美の感覚(ジョナサン・エドワーズ)、といった人間に与えられた能力によって認識し理解できる、と考える枠組みを自然神学は土台としている[^3]。 一方、バルトは自然神学を猛然と否定した。1934年から神学者エミール・ブルンナーと交わした論争の中で、バルトは自然や人間に仮定される「創造の秩序」を否定し、宗教的救世主(キリスト)と聖霊による「啓示」という外部からの働きかけなしに人間は神を知ることはできない、と自然神学を土台から否定する[^4] 。 私たちAAメンバーは神学の論争史に関心を持たない。しかしAAの「神学」は、AA共同創始者[ビル・ウィルソン](https://ieji.org/glossary/bill-w)(以下、AAでのニックネームを採って「ビル」と呼ぶ)の言葉を見るならば、明らかに自然神学の領域に土台を据えていることが理解出来るだろう。 &#13;&#10; &#13;&#10; >たとえばどこにでもある鉄骨の大きな梁。それを作っているのは、ものすごい速度でお互いのまわりを回転している電子の塊である。こうしたちっぽけな物体は正確な法則にしたがって動いてる。このような法則は物質界のすべてにあてはまる。科学はそう教えている。私たちにはそれを疑う理由がない。それなのに、私たちは自分が目にする物質や生命の大もとに、「力に満ちて、自分たちを導く、すべてを作り上げた知性的存在」があるという完全に論理的な推測にあうと、すぐさま、ひねくれた性質が現れ、そんなことはないと自分に言い聞かせようとする。この宇宙を説明するのに神など要らないと信じている自分がある。[^5] &#13;&#10; ビルはバルトのように、メシアや霊的な存在という宗教的契機が外部から人間に働きかけなければ、人は神を知ることはできないとは主張しない。 ビルの主張は能天気である。たとえ道徳的に堕落し、生命の危機に瀕しているアル中であっても「神を信じ、自分の大掃除をすること」を実行するならば、神を実体験し回復できると主張する[^6]。 この共同創始者ビル・ウィルソンから始まったAAの自然神学的な霊性理解は、AAが自らを「宗教ではない」と主張する、重要な論拠となっている。 ### ギフォード講義とジェイムズ さて、ジェイムズに戻ろう。 ギフォード講義は1887年に没したギフォード卿(アダム・ギフォード)の遺言と遺産によって、1888年から始まった。民事訴訟院判事という名士であった彼は、エマソンを尊敬する哲学研究者でもあった。 彼の名を冠した講義の目的は、ギフォード卿の遺言に基づき「最広義の意味における自然神学、つまり神についての知識と倫理の基礎についての研究を促進し、進歩させ、教授し、普及させるための一般講座を設立すること」であった[^7]。 &#13;&#10; &#13;&#10; <div style="text-align: center;"> <img src="AdamLordGifford.jpg" alt="Centered Image" /> </div> <p align="right">Adam Lord Gifford, via Wikimedia Commons.</p> &#13;&#10; はるばるアメリカから招聘されたジェームズは、哲学者であると同時に心理学者であった。彼は1900年2月にエディンバラ大学におけるギフォード講義を担当し、20回の講義を行った。その講義が書籍となったのが『宗教的経験の諸相』である。 『諸相』を読めばわかるように、ジェイムズはスタンフォード大学の宗教心理学者エドウィン・スターバックのアンケート調査結果を多用し、それらを「症例研究」することによって宗教現象の一般原理を帰納する。 この姿勢は心理学者ジェイムズとしては当然のアプローチだが、同時に実際の経験という「自然現象」から宗教現象の原理という「創造の秩序」を明らかにする自然神学の営みでもある。 『諸相』に登場する数々の経験が語るように、宗教現象は必ずしもメシアや聖霊という高度に宗教的な契機がなくとも、人をなんらかの信仰に導いている。宗教という人の営為において、宗教組織や教義よりも個人の宗教体験が先立つとしたジェイムズは、まさに自然神学者と言えるだろう。 エマソンというアメリカの超絶主義哲学の思想家を敬愛したギフォード卿、その彼の遺志によって設立された自然神学研究をテーマとするギフォード講義において、ジェイムズはその伝統に則り、宗教現象の心理学的分析を通して見事な自然神学講義を行ったのであった。 ### 自然神学とAA [第1回](https://carduelis.page/vre-study/001)で指摘した通り、AAはジェイムズの『宗教的経験の諸相』から多大な影響を受けつづけている。 数多くのAAメンバーがアルコホリズムから回復したが、私たちの多くは特定の宗教を信仰してはいない。AA共同創始者の一人[ドクター・ボブ](https://ieji.org/glossary/drbob)は強い宗教性をもっていたが、特定の宗教における救済の契機(預言者、メシア、聖霊、秘跡など)をAAに輸入することはなかった[^8]。同じようにビルも、自然神学に土台を据えた世界観を生涯保持した。 AAには自然神学に基づく宗教観(AAが「霊的な」と表現する世界観)を土台にし、その上に宗教から非宗教までさまざまなグラデーションのある信仰が息づいている。 ビルとボブ、そして初期メンバーたちが『諸相』から影響を受けつづけたことが、彼らがAAを多元化する上で有益であったことは疑いない。 自然神学者としてのジェイムズを心から受け入れることによって、AAは宗教的契機を媒介せずに、AAが「ハイヤーパワー」と呼ぶ神的な存在と個人とを繋ぐ通路を開いた。AAはジェイムズから、そしてギフォード講義から、その霊的多元主義と呼べる世界観を与えられたのである。 ### 結び 今回、ギフォード講義の歴史を通じて自然神学という語の意味内容を提示した。この語を理解することにより、『諸相』の「原著序」も読みこなすことができるだろう。 AAはアル中が飲まないで生きるための団体であり、神学論争とは関わりを持たない。しかし、AAにも明言されることは少ないが、明確な神学が存在する。その神学は自然神学の世界観に立脚したものであり、AAはジェイムズのギフォード講義を通じて、その豊かな源泉を自らのものとした。 AAの歴史を語る上で、ジェイムズを通してAAが受けた自然神学からの影響を除外するのは、片手落ちである。エマソン、ジェイムズなどの自然神学者たちを通して、AAも[アラノン](https://ieji.org/step-study/step-study-016)もその土台に特定の宗教的契機を持たない開かれた霊性を据えることに成功しているのだ。 次回は「第1講 宗教と神経学」に入る。 [^1]: ウィリアム・ジェイムズ, 1969, 『宗教的経験の諸相 (上)』 桝田啓三郎訳, 岩波書店, 9. [^2]: アリスター・E・マクグラス, 2002, 『キリスト教神学入門』 神代真砂実訳, 教文館, 288. [^3]: ibid., 288-296. [^4]: 田川建三, 2004, 『キリスト教思想への招待』 勁草書房, 8-39. [^5]: AA, 2024, 『アルコホーリクス・アノニマス』 AA日本出版局訳, JSO, 71-72. [^6]: ibid., 142. [^7]: Oxford University Press, 2025, “Gifford, Adam, Lord Gifford,” Oxford Dictionary of National Biography, (2025年8月2日取得, https://www.oxforddnb.com/display/10.1093/ref:odnb/9780198614128.001.0001/odnb-9780198614128-e-10656). [^8]: AA, 2006, 『ドクター・ボブと古き良き仲間たち』AA日本出版局訳, JSO, 401-402.