<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2024-11-21<br>更新日: 2024-12-28
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# 信仰の、ひとつの実例のはなし
AAは「その考え方にはどんな有用性があるのか」と問う**プラグマティズム**を前提にしていると、いくつかの機会に話してきました。
そこで「有用性」を考えるならば、僕たちが12ステップを使って霊的体験・目覚めを経験することによって得る何らかの信仰は、どのような具体的な有用性があるのでしょうか?
今回はそんなことを考えてみようと思います。
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### どのような効果があるか
「アルコホリズムという問題の解決を得るために、自分を超えた力を信じて、自分の掃除をし始めた。そうしたら、ハイヤーパワーがアルコホリズムという問題を取り除いてくれた」というのがビッグブックに書いてある、AAの経験の骨子でしょう。
さて、彼ら(ビッグブックの著者たち)にとって、12ステップを通じて**何らかの信仰**を得たことは、大きな効果があったのです。その効果とは、酒をやめられたことです。
なぜ霊的体験・目覚めを得て、神と触れ合うようになったことで酒がやめられたのか? その疑問に対して、AAは明確な答えを提示していません。
> アルコールで苦しんでいた人たちがもう一度、幸せで、尊敬を受け、人の役に立つような人間になるとは信じにくいかもしれない。いったいどうやって彼らは、あの悲惨な、信用もすべてなくした絶望の淵から脱出することができたというのか。答えは経験した事実である。だから、とにかく私たちの身に実際に起ったのだから、あなたにも起こり得るのだということしか言えない。[^1]
上記のように、その答えをAAは明確にしようとしません。「だって私達が飲まずに生きられてるじゃないか」という、**プラグマティックな証明方法**をしています。その理屈について、人間の側がとやかく言うことは必要ないのでしょう。だって神さまがやってくれんだから。
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### 興味深い説明
僕もそんなふうに「そこを深く考えてもしかたないなぁ」と思っていたのですが、あるときとても興味深い説明を聞きました。それは[プログラム・フォー・ユー勉強会](http://pfy-studymeeting.org/)の一コマです。
そこでこんな説明がされました。
> アルコホーリクにはよりよい生き方―たぶん、より穏やかな生き方が必要である。それはおそらく、彼らがアルコールや薬物の中に探し求めていたものである。シルクワース博士はそれを「ふっと楽になる感覚(sense of ease and comfort)」と呼んだ(A.A p.xxxvi)。アルコホーリクはステップ1から10までを実行することで4つ目の次元の世界に入る。そして、そこで「ふっと楽になる感覚」を見つける。だから、彼にはもう、アルコールや薬物は必要なくなるのである。[^2]
これはとても印象に残っていて「なるほどなぁ」と思いました。
「4次元の世界に打ち上げられた」とはビル.Wが霊的体験・目覚めを得て、自分なりに信じられる神との意識的な接触関係に入ったことを表現した文章です。
つまり、そのビル.Wの表現を踏まえて上記の文章を読むと、ハイヤーパワーとの意識的な接触関係で、アル中は<span style="text-decoration: underline; text-decoration-color: #ADD8E6; text-decoration-thickness: 4px;">「安らぎと慰めの感覚(sense of ease and comfort)」</span>を得られる、ということなのでしょう。
とすると、12ステップを使って何らかの信仰を得ると、人はそのような「安らぎと慰めの感覚」を得るようになるということです。
上記文章でははっきり明言してはいませんが、おそらくステップ11の祈りと黙想には、そのような効果もあるのだと僕は考えています。神と意識的に触れ合う時、人はリラックスを感じることもあるのです(それだけではないにしても)。
それは、かつて酒で得ていた感覚を、こんどは信仰の中で得るということでもあるのでしょう。この説明は、「なぜ霊的体験・目覚めを経験することで酒がやめられるのか」の一部の説明になるかもしれません。
このハイヤーパワーとの関係で、「安らぎと慰め」を与えられるという点は、あまり日本のAAでは強調されないような気がしています。
どうも日本のAAでの「信仰」というと、何か自分の欠点を自分で断固として取り除こうとするような、修行のような辛いものが思い浮かべられることが多いように感じます。ミーティングでもそういう、辛く苦しい行動と努力のはなしは結構聞きますよね。
確かに、信仰には様々なヴァリエーションが存在するとは、ビッグブックやジェイムズが指摘することでもあります。人はその気質によって、多様な信仰の概念を持つのでしょう。そしてAAも、各メンバーの信仰の多元性を認めています。
しかし同時に、なんらかのロールモデルがそこにも存在することは事実だと感じます。人は無から、今の自分が立っている場所を生み出すことはできません。意識的、非意識的にであれ、何らかの影響を無数に受けながら人は現在の感じ方や考え方を持つようになるものです。
辛く苦しい、努力努力の信仰もまぁ、ありっちゃありかもだけど、それとは違う信仰の実例も見ておきたいですよね。
僕自身、今の自分が持っているハイヤーパワーへの信仰は、無数の人の影響のもとに今、感じているものです。そんな中で「これはとても大事な考え方だったなぁ」と今の自分が感じるものもあります。それは、<span style="text-decoration: underline; text-decoration-color: #ADD8E6; text-decoration-thickness: 4px;">ハイヤーパワーに対するおおらかな信頼感</span>を大切にする考え方です。
「正しい人しか助けてくれない神さま」のような息苦しい信仰の概念ではなく、「神は善なる存在だ」と主張するおおらかな考え方は、人が生きる中でずっとあったのでしょう(そこから[神義論](https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E7%BE%A9%E8%AB%96-536995)という問いも生まれたのでしょう)。
それは<span style="text-decoration: underline; text-decoration-color: #ADD8E6; text-decoration-thickness: 4px;">「神さまは人に良いものを与えてくれるんだから、神さまから人に与えられるものは、みな良いものなのである」</span>という考え方を導きます、だって神さまは善なんだから。聖書の中にも、そのようなおおらかな考え方は出てきますね[^3]。
ビル.Wもそのような考え方をする人だったようです。
> わたしたちの性的能力は神から与えられたものであり、したがって良いものであること。軽くあしらったり、自分中心に利用したり、また軽蔑や嫌悪すべきものでないことを、常に忘れないように心がけた。[^4]
> これらの欲求―性的な関係、物質的感情的な安定、そして仲間づくりへの欲求は、本当に必要で正当なものであり、それはまぎれもなく神から与えられたものである。[^5]
この考え方は、人間の作り出したものは基本的にろくでもないけど、神がくれたものは善いものだとする神への信頼感を前提にしています。これを神学では先行的恩寵と言ったりします[^6]。
そのような「**神への信頼感**」は、アルコホーリクにとって、とても有用なものであると僕は感じています。
人がなんらかの信仰を持つ上で、「神は善いものであり、そして、この人生には神が与えてくれた善いものや目的や意味がある」とする信頼感は、人が生きるという決して楽ではない道のりをおおらかに照らしてくれます。
ジェイムズは、人が何らかの信仰を得ることの「効果」は、そんなおおらかな神への信頼感を感じることにより、安心感や慰めを得られることだと書いています。
『プラグマティズム』においては、世界は死滅するという有る種の唯物論的な立場に対比することで、神を信じるということの効果を以下のように説明しています。
> ひるがえって神の観念は、機械的哲学において行われている数学上の諸観念に比べると明瞭さにおいては劣っているけれども、少なくともそれが永遠に保持されるべき理想的秩序を保証するという点においては、数学的観念よりもまさっている。つきつめていってみると、神に支配される世界にしても、焼けほろびることもあろうし、凍えて死ぬこともあるかもしれない、しかしそれでもわれわれは、神が昔の理想をなお心にとめていてきっとその理想をどこかで成就したもうに違いないと考える。だから、神のいますところでは、悲劇は一時的、部分的であるに過ぎず、難破も崩壊も絶対的に終局的なものではない。永遠なる道徳秩序のこの要求はわれわれの胸奥の最も奥深い要求のひとつなのである。[^7]
「たとえ、今ある世界が滅んで、人類が消えるようなことがあっても、神はその善い計画をそこでも実現してくれるだろう。自分はそこで、神から善いものを受け取るだろう。」そのような信頼感がここには表明されています。ジェイムズの表現は小難しいけれども。
### 自分はどうだったか
僕自身はと言うと、このようなおおらかな信仰を少しずつ受け入れ始めたのは、昨年(2021年)9月くらいからでした。それまでは**自分の努力で自分を変えようとするやり方**で12ステップをやっていましたが、それではもう進めなくなってしまったのでした。
「自分の今までのステップワークは、どうやら自分にとって役に立たないものだったようだ」ということを受け入れるに従って、自分の持っている「信仰」の概念のおかしさにも気づくようになりました。
それは、「ハイヤーパワーを信じている」と口では言いながらも、実は自分の「努力」や「行動」しか信じていないという、つまりは、自分しか信じていないやり方だったと今は感じています。
まぁ、そこから色々苦しいことやら、嬉しいことやらあって、今に至るわけです。今は「神さまがやってくれるんだからさ」とか「神さまがくれたものはいいものなんだからさ」と言えるような、おおらかな信頼感のある信仰の概念が好きです。
そんなハイヤーパワーへの信頼の中で、ほっと一息つくように感じる「安らぎと慰め(sense of ease and comfort)」は、たしかに効果があるものだとも感じます。まぁ、自分はしょーもなくても、神さまはしょーもなくないんだから、いっか、みたいな。
おそらく、アルコホーリクが飲まずに生きていくには、かつてアルコールで感じたより以上の「安らぎと慰め」は、どうしても必要になってくるのでしょう。
その一息の時間を、僕たちはハイヤーパワーとの意識的接触の時間(祈りと黙想)で得ることもあるのだろうな、と今の僕は解釈しています。それはまるで、水泳の息継ぎのようなものかもしれません[^8]。
もちろん、アルコホーリクがそのようなおおらかな信仰を実感するには、12ステップを使って捨てなければならないものや、直面しなければならないものがあるのですが。
### おわりに
さて今回は、自分で自分を治そうとするような息の詰まる信仰ってのもあるんだけど、おおらかな信仰ってのもあるんだよっていう、一つの例を提供するような内容でした。
最近はジェイムズばっか語ってるジェイムズおじさんになりつつありますが、たまにはミーティングでも出て、のんびりとしたはなしでも誰かとしようかと思ってます。
「そんな自分で自分を治そうとがんばんなくてもいいじゃん。だって神さまが治してくれるプログラムやってんだからさ」みたいに。
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快く転載を許可してくださった、一般社団法人セレニティ・プログラムのKさんと、深夜22時に「あの「答えは経験した事実なのである」みたいなBBの箇所ってどこでしたっけ?」という僕の非常識な連絡に、マジメに付き合ってページを教えてくれたひよこさんに感謝しています。ありがとうございました。
[^1]: AA, 2024, 『[アルコホーリクス・アノニマス](https://ieji.org/glossary/bigbook)』 AA日本出版局訳, JSO, 222.
[^2]: [一般社団法人 セレニティ・プログラム](http://serenityprogram.org/)より許可を得て「RDカウンセラー・マニュアル(日本語版)」より転載.
[^3]: マタイ福音書 7:7-12,
[^4]: AA, 2024, op. cit., 101.
[^5]: AA, 2001,『12のステップと12の伝統』AA日本出版局訳, JSO, 58.
[^6]:なかやまひいらぎ, 2024, 「ビッグブックのスタディ (84) 私たち不可知論者は 11」, 心の家路, (2024年11月21日取得, https://ieji.org/big-book-study/big-book-study-084).
[^7]: ウィリアム・ジェイムズ, 1953, 『[プラグマティズム](https://www.iwanami.co.jp/book/b246797.html)』 桝田啓三郎訳, 岩波書店, 112.
[^8]: Ibid., 131.