<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2024-11-21<br>更新日: 2024-12-28
</span></p>
# 祈りについての短い一文
この10年で、身の回りで自ら死んでいった人は複数人います。今年は、4月に89歳の親族が自死しました。
その報せを聞いたとき、僕たち夫婦は友人と喫茶店でのんびりしていたのをよく覚えています。そして、本当に驚きました。ほんの数日前に声を聞いた人だし、畑仕事などする元気な人だったからです。縊死でした。
今は半年以上経って、僕自身も少しずつ出来事が整理できるようになってきました。それは、亡くなった人の心情の理解が深まったとかではなく、これは自分にとってどういうことだったのか、という理解ができ始めたということです。
僕自身の中には「今が苦しくても、歳を取ったら丸くなって、自然と生きることが楽になるんだろうな」と思っていた部分がありました。しかし、そうではなく、生きるということはその時々の試練や苦しみがあるということです。性差、生まれ、家柄、年齢、国などには関係なく、基本的に生きることは不条理の連続なのだということです。それを否定しては、死んでいった人も浮かばれないと感じます。
また、何かを信じるということに関しても、感じることがありました。その親族は信仰を持っていて、自死した日の朝も熱心に祈っていたということを聞きました。それを聞いて、僕はなんとも言えない凍えるような気持ちになりました。
AAの中でも「祈り」というのはとても重要視されます。さまざまな祈りが[ビッグブック](https://ieji.org/glossary/bigbook)や他のテキストには書いています。ですが同時に、「ただ祈る」ことがアルコホーリクにとっての解決ではないことも明白です。
12ステップは祈りと黙想(ステップ11)までにステップ1〜10といった12ステップの大半が道のりとして入っています。これは非常に示唆的なことで、アルコホーリクが祈りを効果的なものにしようとするならば、どうしてもそれだけの工程が必要ということです。
僕はAAの中で「ただ祈ってるんじゃなくて、プログラムを戻ったらどうですか?」とメンバーに言うことがあります。それは、祈り(ステップ11)にただ闇雲に取り組むのではなくて、「祈りにおける結果が得られないのであれば、それ以前のステップが上手くいってないので、そこまで戻って取り組んだらいかがか」という問いかけです。
そうじゃないと、自分を欺いて、苦しいままのことがとても多いのです。
では祈りにおける結果とは何でしょうか?ここは次回の『諸相』スタディで詳しく扱う予定ですが、端的に引用すると以下が結論部分です。
> 宗教現象は、どこであろうと、どの段階においてであろうと、明らかに、個人個人が自分自身と自分自身が関係していると感ずるより高い力との間の交わりについてもつ意識にある。この交わりは、能動的であると同時に相互的である時に、実現されるのである。もしこの交わりが効果をあらわさないなら、もしそれが授受の関係でないなら、もしそれが続いている間に実際に何ごとも成就されないなら、もしその交わりが生じたのに世界が少しも違ったものにならないなら、そのとき祈りは……まったく妄想に根差しているものの部類に入れなければならない。[^1]
ジェイムズの言う通り、祈りというのは、人が世界に取る態度を、人格を、視点を変化させます。それは「個人個人が自分自身と自分自身が関係していると感ずるより高い力との間の交わりにもつ意識」、つまりハイヤーパワーとの交わりの感覚のなかで引き起こされるものです。
つまり、ビックブックの言う「神意識 God Consciousness」[^2]や「神がここにいるという思い The consciousness of the presanse of God」[^3]は、このような「今、自分を超えた力と触れ合っている」というハイヤーパワーとの相互的・能動的な交流の意識・感覚のことです。
祈りの文言や、何に対して祈るか、自分のために祈るか人のために祈るか、どのくらいの時間祈るか、などは、この意識があるかないかに比べれば形式的な問題にすぎません。
そして、この意識を持つのに邪魔になっているものを捨てていくのが、ステップ1〜10の役割です。なので、この意識が持てない(神との関係が正しくない)のなら、ステップを戻ってするべきことをする必要があります。また、「霊的体験・目覚め」には必ずこの意識が(急激にであれ、ゆっくり徐々にであれ)付随するものです。
この自分を超えた力との交流の意識が、この感覚が、少しもない祈りは人を救うことはできないのだろうと今の僕は考えています。
親族の祈りにこの意識があったのかなかったのかは、僕の知り得ることではありません。ですが、親族の自死は、そんなシビアなことも僕自身の課題として感じさせるものでした。
祈りにしても、アルコホーリクが酒をやめ続けるには、ただ闇雲に祈ればいいと言うものでもないのでしょうね[^4]。
[^1]:ウィリアム・ジェイムズ, 1970, 『[宗教的経験の諸相 (下)](https://www.iwanami.co.jp/book/b246799.html)』 桝田啓三郎訳, 岩波書店, 309.
[^2]: AA, 2024, 『[アルコホーリクス・アノニマス](https://ieji.org/glossary/bigbook)』 AA日本出版局訳, JSO, 266.
[^3]: Ibid., 74.
[^4]: こう書くと「ステップ11に辿り着くまで祈りなんて意味ないんだから祈らない」というとてつもない意見を持つ人がいるが、それはビッグブックのやり方ではない。ステップ3以降は各ステップで祈りは重要である。そのような極端な意見を持ってしまう人は「私たちは霊的な完成をではなく、霊的な成長を求めているのである。」ビッグブックの一文を理解できていないのだ。