<p align="right"><span class="small-text">公開日: 2024-11-21<br>更新日: 2024-12-28 </span></p> # 自己否定というコスト 最近、何かで読んだのですが具体的に思い出せない文章に「自分を否定することは(精神的)コストがかかる。」という一文がありました(たぶん)。 12ステップで言う「霊的成長」とは「自分の考えの否定」で起こるものです。ビッグブック第3章でのフレッドの例や、ステップ4,5,10の棚卸し、ステップ8,9の埋め合わせなどはその具体例です。どれも「自己肯定・自己受容」ではなく、自分の考えを否定していく営みです。 &#13;&#10; &#13;&#10; > 私たちのなかには自分の古い考えにしがみつこうとしている仲間もいたが、完全にその考えを捨てないうちは結果は何も生まれなかった。[^1] &#13;&#10; ですが、自分の考え方を少しずつでも否定していく営みは、精神的にも、ある場合には時間、肉体、金銭的にもコストとなります。ステップ5や9なんてそうでしょ? なので、この世の中の多くの人はそういったコストがかかるやり方を避けるものです。それは、現在の多くのAAメンバーもそうだし、かつてもそうでした。 &#13;&#10; &#13;&#10; > 私たちは、これらのステップの途中で立ち止まっては、もっとやさしい楽なやり方が見つかるかもしれないと考えた。だが見つからなかった。[^2] &#13;&#10; 「私たちは、これらのステップの途中で立ち止まっては」は直訳すると「ステップの中には、私たちが躊躇したものもあった。」となります。 誰だって12ステップという「自分の考え」を否定するやり方は、ためらいを覚えるものです。自分というのは、自分の考え方で成り立っているものなのですから、自分を否定することにつながるからです。それは精神的にも、大きなコストです。自分の考えを否定するには、知性の働きや学びを深めるというコストもかかりますよね。 自分の考えを否定するのは、大変なことなのです。一朝一夕でできることではありません。 一方、自分を肯定して「そのままでいいんだよ」とするやり方は、コストが少ないとも言えるでしょう。そこには、変化のために自分を超えた力に頼る必要も、その力と触れ合うための行動のプロセスも、必要ないからです。 ですが、12ステップはステップ1から「あなたはそのままではよくない」と突きつけてきます。なぜでしょうか? 答えは簡単で、「そのまま」だったら必ず飲んで死ぬことになるからです。 私たちが「生き方の原理」としている12ステップは、自分の考えを日々(少しずつ)否定し続けると言う高い目標を掲げています。そこを見過ごして「自己受容、自己肯定」等をプログラムの本質であるとするのは、よくある誤解です。 <span style="background:rgba(5, 117, 197, 0.2)">12ステップは自己肯定のプログラムではなく、自己否定のプログラム</span>です。霊的成長には、自己否定の営みが不可欠です。 12ステップが私たちに要求する、この高い目標を理解するならば、次の一文も理解できるようになると思います。 &#13;&#10; &#13;&#10; >「何ていう要求なんだ! とてもじゃないがやり通せるものではない!」と、私たちの多くが叫んだ。でもがっかりしないでほしい。私たちの誰一人として、これらの原理を完全に実行できたという人はいないのだ。私たちは聖人ではない。大切なのは、私たちが霊的な路線に沿って成長したいと願っていることである。ここに掲げた原理は成長への道標だ。私たちは霊的な完成をではなく、霊的な成長を求めているのである。  [^3] &#13;&#10; 自分を全否定しようとする自己否定欲が異様に強い人は、完璧なる聖人か神になりたがっているということでしょう。そんなの、無理です。 さて、こういったコストのかかる生き方は、ステップ1で自らの絶望性を認めた人が、(おそらく嫌々ながら)取り組んでいくものでしょう。もっと楽なコストのかからないやり方の方が、快適に決まっています。 12ステップは「生きていくためにはどうしても12ステップが必要」という不自由で絶望的な人が、コストがかかる**にもかかわらず、それでもなお**手にするプログラムということです。 [^1]: AA, 2024, 『[アルコホーリクス・アノニマス](https://ieji.org/glossary/bigbook)』 AA日本出版局訳, JSO, 85. [^2]: Ibid., 84−85. [^3]: Ibid., 86−87.